お父さん

お父さん

1月21日、父が永眠いたしました。

やっと少し落ち着きましたが、気持ちの整理を付けるにはまだ時間が必要なワタクシでございますね・・・。
知らせを受けたのはずっと連絡を取っていた葬儀屋さんからのメールでしたが、ちょうどその頃ワタクシ日本語の授業をしてる最中で授業後は夕ご飯をすぐに支度していただくといういつものパターンだったのでメールを見ることもできず、食後落ち着いてじゃあロンドンのMちゃんに連絡でも、と携帯を開けてみたらメールが2通と出てる。アラ何かしらとメールボックスを開けてみたら件名に本文の抜粋が出ていて「この度は誠にご愁傷様です・・・」という一文が見えてですね・・・。

父は1月3日に91歳になったところでしたが、その日Seanとおじいちゃんにお誕生日おめでとうを言おうと電話をしたところまともにしゃべれないような状態になってしまってまして、近くにいた介護士さんに色々と聞いてみたものの、日曜日だったので翌日介護士主任さんから説明を受ける手筈を整えてその日は電話を切りました。Seanと「おじいちゃん喋れなくなっちゃったね〜」と言いながらもなんとなく大丈夫だろうかと心配になっておりました。
明けて月曜日に主任さんの話を聞くと、去年12月頃からあった痰の絡まりが飲み込めなくなってきたので毎日吸引をしていること、去年の年末辺りから状態が一段階ガクッと落ちたこと、老衰の始まりであることなどなどを説明され、今すぐじゃないが覚悟はされていたほうが、ということを聞きまして。その時にワタクシ父の顔が見たいと話しましたらSkypeができるんですよと。ヤダ、ワタクシいつもSkype電話でかけてたんですけど!と思わず叫んじゃいまして、そしたらその場でアカウントを確認してSkypeで父の顔を見ることができました。できましたが、父は1年半前に会った時とはかなり面変りをしてて覚醒しているのかどうなのか目を半ば閉じてるような感じで、周りで介護士さんが3人がかりで私の話す言葉を耳元で大声で伝えてくれてもあまり反応もないような状態でありました。
これでワタクシかなりショックを受けまして、これは本当に覚悟をしておかないといけないだろうなとその時に思いましたね・・・。
その後早速葬儀屋さんに連絡したり施設の方とも連絡したりして準備は進めていたものの、まだ大丈夫であろうと高をくくっていたのも事実でして。施設の方でもワタクシが海外だということで朝一番でSkypeをさせてもらえるように取り計らってくださったりして色々と気を遣ってくださいました。先々週の日曜日には規定外だったんですが特別にということでSeanと話ができるようにしていただいてSeanを夜中の1時に叩き起こして一緒にSkypeに臨んではみたものの最初の数秒だけ目を開いてた父は段々目を閉じてしまい眠り込んでしまいましてロクに話もできないまま終了。その後Seanはワタクシに隠れてさめざめと泣いたそうです。翌日そのことをSeanから聞いたんですが、結構本人もショックだったみたいで、でもそこは13歳になっただけあってワタクシに泣いてるところを見られたくなかったのか、そんなところでちょっと大人になったんだな〜としみじみとしたり。
翌日施設からメールが届いたんですが、これが父の写真とビデオをSkypeから送信した、ということで見てみたら父が酸素吸入器を装着しておりましてね・・・。もうびっくりしちゃいまして速攻で電話しましたら、血中の酸素濃度が減少したので現状報告ということでお送りしました、とのお話。そこで「今日から毎日Skypeで連絡しますからお父さんとお話してくださいね」と言われ、ああこれはもしかしたらもうそろそろなのかな・・・と。それでも月曜日から水曜日までSkypeで毎日父に会うことができたワタクシ。また日曜日にはSeanに会わせてあげようなんて思っておりました。
最後のSkypeは水曜日の朝8時ごろだったんですが、顔色も良くなって目もちゃんと開いていてワタクシの声も聞こえているのか笑ったり手を動かしたりしておりました。そんな時介護士さんたちが「あ、お父さん手を振ってるみたいですよ〜。画面に手を合わせようとしてますよ!」と。どうやらワタクシが手を振ってる所に手を重ねようとしていたみたいなんですね。この姿を見てワタクシ、ああこれだったらまだもう少し大丈夫かな、なんて思ったんですがこの後17時間後に父は眠っている間に亡くなったそうです。この時父は私に自分が元気でいる姿を見せようと精一杯頑張ったんじゃないかなと・・・。それを思うと本当に胸が一杯になってしまうんですが、亡くなる直前にこうして父と会えたことは本当に感謝しております。
ワタクシにとって父はとっても厳しくて、所謂昭和一桁の頑固親父そのもので、それこそワタクシが男性不審に陥るくらいの厳しさだったんですが、ワタクシが大学に入ったころ辺りから段々父娘の関係が良くなって、ワタクシが実家に帰れば一緒にお酒を飲んでは文学談義やら父の大好きなプロ野球の話やら毎日色んな話をしたもんでした。
去年はコロナのせいで2回もフライトがキャンセルになってしまって日本には行くことができず、1年半近く父と実際に会うことはできなかったこと、そして母を父に会わせることができなかったことが本当に悔やまれます。
父の葬儀は28日だったんですが、お通夜はせず家族葬を実家でするということで前日の27日に父を実家に連れて帰ってもらいました。その夜、ワタクシは仏間の隣の居間で寝たんですが、多分明け方のあたりで父が夢枕に現れたような気がいたします。父は私の所に来た後居間のガラス戸を開けて去年2月に死んでしまった愛犬アロがいつもいた庭に出る廊下を広くしたスペースへ行き戸を閉めてアロと遊んでいるようでした。

父はアロをそれはもう溺愛してたので、今頃は天国でべったりくっついて遊んでいるんじゃないかな〜と思っております。

お父さん、そちらで楽しくやってくださいね。さようなら、また会えるときまで。

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Comments:8

  1. yoriさん、お心遣いありがとうございます。
    元旦に日本へ行かれたとのこと、周りがお休みの中さぞかし大変だったでしょうね・・・。
    早いもので父が亡くなってから25日も経ってしまいました。事後処理と片付けに追われているとあっという間に時間が経ってしまうんですよね。
    四十九日が終わるまではまだバタバタしそうです。

  2. 初めまして。本当に心が痛みます。私の母もこの大晦日に急逝し、元旦に急いでブラッセルから一時帰国しました。
    我が息子も12歳。とても他人事とは思えず、思わず涙しながらコメントしてしまいました。
    どうか、時間がゆっくりと癒してくれることを願います。

  3. Kaoさん
    お悔やみありがとうございます。
    海外に住んでいるということは、両親に寄り添うことができないことということは分かっていながら、やっぱり現実になってしまうとせつないですね・・・。
    残された母には今精一杯のことをしたいと思ってます。

  4. Cocoさん、ありがとうございます。
    コロナ禍の中でのお葬式ということで、どうなることかと思っていましたが無事済んで本当にホッとしてます。
    自分が年を取ると言うことは両親も年を取るということで、いずれはこういう日がやって来るっていうことは分かってるんですけど、いざその日が来てしまうとやっぱり海外に住んでいるっていう現実を知らされますね。これもまたC’est la vieってことなのかな、と。

  5. お悔やみ申し上げます。
    私もコロナ騒ぎのなか日本に帰国する事ができず、両親の事が気がかりでしたのでブログを読み進めるうちに涙が溢れてきてしまいました。お気持ちお察しします。

  6. ブリュッセル。さんの事なのに申し訳ないのですが、自分に状況を
    置き換えて考えてしまったせいもあり涙がにじんでしまいました。。
    海外組の辛さはここにありますよね。
    Sean君の思いにもぐっときて・・ 
    ベルギーへの戻りがいつになるのかわかりませんがスムーズに入国
    出来ますように。また何やら厳しくなってきている様なので。。

  7. Yasuさん、ありがとうございます。
    こんなコロナがなければ去年生きてる時に会えてたのにな〜と思うとやるせないですね・・・。
    せめて一日もコロナが収束してくれればと願うばかりです。

  8. お辛いですね。お気持ち察します。私も、いま、とても辛い状況にいるので、ついもらい泣きしてしまいました。

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